「沢田研二 人間60年 ジュリー祭り」

WOWOWの録画ストック用の4Tハードディスクも残りが10時間を切ったので、何か見ることにしました。


長い録画のものがいいだろうと探したら「沢田研二 人間60年 ジュリー祭り」がありました。380分。えっ6時間を超えてるじゃないですか。何か録画ミスしたかなと思ったら、2008年に沢田研二は6時間を超えるコンサートをしてるんですね。


『ファンも体力勝負に挑んだ伝説の「ジュリー祭り」。80曲の熱唱』です。2008年12月3日に東京ドームに3万人の観客入れてやってます。


そんなに熱心な沢田研二のファンでもないので6時間もつきあってられないと消す目的で飛ばしながら見てたのですが途中で手が止まりました。


当然ながらヒット曲総ざらえ惜しみなく、となるのですが、タイガース時代からソロとものすごい量で、圧倒されました。


なんという甘く透明感のある美声でしょう。美声というと小田和正ですが、こちらは少しクールな感じのクリスタルな美声ですが、沢田さんのはもっと温かく色っぽい。ツヤがあります。


80曲もあって流して歌うかと思うと、ときに感情いれすぎて涙を拭いながら一曲一曲全力投球で歌ってます。


もともと美声が売りなのでどの曲も高音を生かしたものが多い。また歌謡曲ですから、曲が短くバンドの楽器演奏で時間をとるという逃げもできない歌いっぱなしでした。80曲歌っても美声が濁らないのがすごい。


「みなさん!大丈夫ですか?って大丈夫じゃないのはオレだな。もう頭がパッツンパッツンです」「こんな無謀な試み半分は後悔しています」と言いながら歌うだけじゃなくステージを走り回ってました。


最後の挨拶では
「タイガーズは夢でした。みなさんに夢に連れていってもらいました。それ以後いまだに夢の中にいます。夢の中にいるともう夢を見ることは許されないことでした。逆に現実を見て一歩一歩歩いてきました。夢の中に連れてきてくれてありがとう」と言ってました。スター街道というのもつらいものがあるんでしょう。


彼の美声ということもありますが、聞いてると自分の人生を振り返ることにもなって歌以上の重いものが伝わってきます。


少し脇道にそれますが、ある人がこう言ってました。
『たとえば音楽を何千曲も取り込める装置があるという。しかし音楽は沢山聞けばいいというものではないだろう。好きな曲をくりかえし聞くから心に届くので、本来くりかえしをぬきには深い喜びはないのかもしれない。しかし、安価で手軽に大量の曲を聞けるようになれば、どうしても一曲をくりかえし聞く集中力は乱されてしまうのではないだろうか。


くりかえしに喜びがあると分っていながらもっと沢山の曲が聞けるという魅惑を無視できない。くりかえしたい。落ち着けない。くりかえしたい。くりかえせない。


そんなたとえ話で人生を語るのは反則かもしれないが、くりかえしてしまうということには、通念では把らえられないなにものかがいろいろ潜んでいるような思いがある。』



沢田研二の曲たちには繰り返しのパワーが宿ってますね。国民的歌手です。


下の二曲は彼も半分泣きながら歌っていて、こちらも気持ちの高ぶりを抑えるのに苦労します。





「100歳の超え方/和田秀樹」

「100歳の超え方/和田秀樹」を流し読みしています。
まえがきはこんな感じです。
『この本は100歳を目前にした人に、「あと少しだから頑張りましょう」と励ましの声をかける本ではありません。70代50代、あるいはそれより若くても、「100歳まで生きるぞ」という意欲を取り戻してもらうための本です。



現実はどうでしょうか。70代ともなれば「元気でいられるのもあと10年か」と考える人が大勢います。そう考えた時点で、いろいろなことをあきらめたり、悔やんたり、あるいは身体の衰えや不調を嘆いたりするだけになります。


つまり「いま」が幸せではなくなってしまうのです。



いまが幸せと思えなくなれば、残された人生が幸せとは思えません。いまよりもっと老いて衰え、できないことや楽しめないことが増えてくるだけだからです。そうなってしまうと、100歳なんて特別な人、運のいい人だけがたどり着ける年齢のように感じてしまいます。



でも、「よし、100歳まで生きてやろう」という気持ちになればすべて変わってきます。



「長く生きれば医学もAIも進歩して不自由なく暮らせるようになるんだ」と気がついただけで、「そういう世の中を見たい」と思うようになるでしょう。



「あと30年も残っている」と思えば、「もう歳だから」とあきらめたり、ためらったりしていることも、「やるだけやってみるか」という気持ちになります。 友人や親しい人といろいろな計画を立てることもできます。そういう日々が戻るだけで快活な気分が生まれてきます。



いままでのように、何か思い立っても「あと10年若かったらなあ」と悔やんで、できなくなったことばかり嘆いている毎日から抜け出すことができるでしょう。



これだけでも大きな変化です。「いま」が幸せと思えるようになれば、意欲も生まれてきますし過去を悔やむこともなくなります。残された人生に、いままで感じなかったりあきらめたりしていた可能性を見つけることができるようになります。』
和田先生の本は同じことが何度も出てくるので、あまり読まなくなりましたが、このくだりはなかったかな。


60歳と70歳にあまり差異は感じませんが、70歳と80歳ではずいぶん違う気がします。70代で亡くなるひともかなりいます。


それで70歳の坂ということを意識してしまいますが気持ちの持ちようというとこはあるのかもしれません。

南海トラフの30年以内発生確率は20%

一昨日の「辛坊治郎のそこまで言うか」のラジオで、「南海トラフ地震の真実 」という本を書いた 小沢慧一さんが出ていて面白かった。


南海トラフが30年以内の発生確率が70%から80%っていうのは、今にも地震が来そうな数字ですが、地震学者の中でもありえねーだろうという意見が大半で実際は20%くらいだろうという話です。


辛坊「なんでそんな数字が公表されて新聞にその数字が躍るわけですか?」


小沢「そうですね。どうしてそういうのが出るかというと、ほかの地域と違う計算式を南海トラフだけ使っているんですね。


地震予測は、時間予測モデルというんですが、以前に地震が何回あって、その発生間隔が、例えば50年ぐらいだから今20年経ったから30年後には起きるそういうような単純平均というか、そういうモデルを使ってるんですけれども、南海トラフだけ違うんですね。


ある地域の隆起を基本とした計算式を使ってる。この計算式には科学的に問題があるという指摘があって、ただそれを使わないと高い確率が出ないから、それを使うようになってしまってですね。で、今の数字が出ていると言うことになってる。」


辛坊「なんで高い確率を出したいんですか?」


小沢「一つにはやっぱり防災予算を獲得したいというねらいがありますね。だからもし今まで高いと言ってたところに低いっていう確率になってしまったら、じゃあ予算をそんなにつぎ込む必要ないじゃないかって批判を受ける。


あるいは今、そういうふうに進めているのに、そんなこと言われたら根底から覆してしまうじゃないかというふうに、防災とか行政側の人たちからすごく反発があったんですね。それに対してあの地震学者の人たちがまあ、結局押されてですね。今のような形で出してしまったと言う形です。」


辛坊「30年以内に70%から80%という確率について、私の印象なんですが、これって10年経つと20年以内になります。そうすると今ですら70%から80%で10年間地震が起きなきゃとんでもなく高い数字になるんですね。」


小沢「これあの最終的には100%にならないように。あの計算上してあるんですけれども、99%までなるっていう事にはなりますね。」


辛坊「地震が発生したらほら言ったとうり当たったじゃないかって、これ、ほとんど占いと変わんないんじゃないのかなって気もするんですけどね。」


小沢「結局、途中どういう理論でそれが当たっているのかっていうことを検証できないアルゴリズムをちゃんと検証できない以上、まあ当たるも八卦当たらぬも八卦。別に外れても確率だからとも言える体制ではありますよね。」


辛坊「全国地震動予測地図の信頼度なんですが、まああの小沢さんのご努力でですね。南海トラフの70%から80%というのはどうやら過大らしいと、まああの本を読むと、だいたい20%ぐらいが適切な予測確率ではないのかという印象を受けました。」


全国地震動予測地図では東北、熊本、石川と予測されてないとこを選んで地震が起きてますからアテにならないですね。


30年以内に70%から80%と言うのは10年くらい前から言っていていまだに同じことを言ってるのでアヤシーと思っていたのですが、30年たって地震が起きても100%超えないようにというとこから導き出された数字だったんですね。


この予測によって50兆円くらい予算をつぎ込んでるそうですから、ひどいものです。
政府はオリンピックでもなんでも金を使っても国民が怒らないネタを探して自分勝手に使ってる感じです。


ワタシの家は川の近くにあって、この話から引っ越したいって思ってるのですから、その基本が崩れると人生設計にも影響します。


もっとも近くには新しい家がどんどん立ってます。津波が来るかもしれないのによく建てるなぁと思っていたのですが、一般市民は科学者なんて信用ならないって知ってるんでしょうね。